じいちゃんの家に住んでみた。ブログ

毎日自分の理想を考えながら生き、その生活を綴ってまいります。

振り返り③「大学2」

こんばんは!たーにゃです。

(灯油切れで、ストーブが付かず激さむの中記事を書いております。)

 

さて、前回の続きです。

詳細を書くと、とんでもない量になるので、さくりと書いていきます。

 

【大学時代:真ん中編】

カナダ・モントリオールケベック州に属す街です。

街では英語とフランス語が混在しており、前回書いた通り元フランス領だった歴史がある為です。

 

町並みが非常に綺麗で、協会がたくさんあります。

パリにもありますが、モントリオールにもノートルダム大聖堂があります。もうそれはそれは言葉に出来ないほど綺麗で荘厳な空気が流れていました。

【よく使われるモントリオールの写真】

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【町並み】

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ノートルダム大聖堂

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そんな素敵な街から交換留学で日本に来ていた友達が、先に帰国していたので後を追う形で上陸。ピックアップしてもらい、友達の家に数週間滞在しました。

 

その間、提携先のConcordia大学での説明会などに参加したり、家を探したり忙しい日々を過ごしました。滞在先での生活費を一部大学が支給してくれる為、こちらで銀行口座を作るのは苦労しました。

 

そうこうしている内に大学から連絡が入りました。

 

大学側:「Concordia大学の寮への申し込みは住んでいますか?住所を教えてください。」(的な内容だったと思います。)

 

たに:「(え、うそ、全然申し込みしてない。)いま自分で探したアパートで住んでいます。」

 

大学側:「あり得ません。もしそのアパートで何かがあっても、大学側は責任を負えない。自分の責任です。という内容の用紙を送るので、ご自身、親御さんの署名を書いて、大学に送ってください。」

 

 はいやってもうたー。

 

どうやら留学前に、大学寮の申し込みがあり、通常そちらを行わないとだめだった様です。交換留学した、同じ年代約100人(くらい?)の中で自分一人が、勝手に家を決めて住んでいたと思います。笑

 

今考えると恐ろしい。

 

当時、アパートを60歳くらいのおじさんとシェアしていました。もちろん部屋は別々で、顔を合わせるのは一日にあるかないか。そんな状況で、海外生活がスタート!笑

 

授業が始まり追いついて行くのにやっとの事、なんとかやりくりしていました。交換留学の為、英語「を」学ぶのではなく、英語「で」学ぶ為です。

 

当時は、社会学、経済学、地学、数学、フランス語などを選択していました。

 

ストレスのせいか、髪の毛少なめになったり、知らない間に頬をよく触って出血していたり、大変でした。笑

 

留学先では、前期と後期があり、仮に前期で満足な成績が取れない場合、交換留学先の費用が自費、更に後期を受けることなく帰国(だったと思う)になるという恐ろしい事実を現地についてから知りました。

 

その為、毎日勉強勉強。たまに、がきの使いやあらへんで。

そんな生活を送り、期末テストがやってきます。

 

社会学、経済学、数学、地学(→これはエッセイ)は、英語能力が乏しい自分にとってもは、なんとかぎりぎり成績を取って、フランス語の授業で盛り返そうと考えていました。

 

ただ、事件が起こります。

そう、魔の「フランス語のテスト日を間違える事件」です。

 

もう、そのままです。

 

間違えに気づいたのが、テストが終わってからだった為、フランス語の成績は期末テスト0点だった事を踏まえて付けられます。

 

親に連絡しました。

 

たに:「ごめん、一個期末テストの日にち間違って、もしかしたらお金余分に払うかもしれん。」

 

:「出たとこ勝負や!」

 

出たとこ勝負ってこんな使い方なんやと感心しつつも、親への感謝を再認識した瞬間でした。

 

そして前期の成績が出ました。。。。

 

経済学、地学が想像以上によく、意外にフランス語の授業も落第を逃れ、セーフライン+10%くらいの成績で前期を乗り越える事が出来ました。

 

よっしゃーーーーーー!!!!

 

でした。

 

12月末に前期が終わり、友達がいるニューヨークに旅行をし、おしっこを限界まで我慢しながらタイムズスクエアの中心から約300m後方で、人だかりの中年を越し、後期が始まります。

 

後期は、英語力も付いてきたこともあり、なんなくクリア。特に大きな事件は起きることなく、友達とも余裕を持って遊べる事が出来、やっぱりたまにがきの使いやあらへんでを見つつ時間は流れていきました。

 

サンキューカナダ。

 

カナダから日本へ帰国する前に、フランスにいる友達の家を基点に、反時計回りでヨーロッパを回る事になりました。貧乏旅行スタートです。

 

友達はフランスパリの結構中心街に住んでいて、かなりブルジョアな生活を送っている風でした。

 

フランス → イタリア → ハンガリー → オーストリア → ドイツ

 

の順で周りました。

 

途中、友達がひったくりに遭うなどしましたが概ね楽しく周る事が出来ました。

 

日本に住んで、日本のスタンダードで生きてきた自分にとって若い段階で、海外のそれを感じる事が出来、価値観が広がりました。

 

留学前は、ギャル男という人種が苦手だったのですが

ギャル男を測る自分のものさしが確かでもないのに、それを測るのはいかがなものか?という考えになり、多様性というものを得た事も大きな経験です。

経験してもいないのに、ものをいうのは「いけてない」。

 

少し違うかもですが、百聞は一見に如かずというのはよく言ったものだと感じます。

 

ある価値観 に対して、実際の経験もしていないのに批判も肯定も確かに出来ないのが実情だと考えます。

 

人々は色々な考えがあると思います。中にはどう見てもおかしな考え、思想。あると思います。それを判断するのは今までの自分の経験から。

 

前の記事に戻りますが、正しくあろうとする自分が、その判断を行い、明らかに悪いと思うものは排除し、そっちに逸れそうな仲間に対し意見を言える。

 

多様性・寛容と、経験則からの正義というのはこれからも研ぎ澄まされていくものだと考えます。

 

留学を経験して、日本人というアイデンィティを意識して、対する海外にある価値観を見ることが出来、本当によかったと思います。

 

多くの学びを得た留学の経験。

ここから帰国し、残りの大学生活の中で何をするべきかを問いただしながら、大学生活を終えるのでありました・・・。

 

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次の記事は、残りの大学生活!

様々書きましたが、本日も最後まで記事をお読み頂きありがとうございました!

 

本日はここまで!またすぐにアップいたします◎